はじめに
先日、岩手で囲碁を教える際に立てた最初の目標である野狐9段を達成することができました。

1つの目標達成を区切りにして、これまでの囲碁人生を振り返ってみようと思います。
また大学生で囲碁YouTuberの方が野狐9段までの物語を動画にしていたので、私も便乗してみることにしました。
ネタをご提供していただきありがとうございます(?)
囲碁を始めるきっかけ
小学1年生のGW中、私は祖父の家に預けられていました。
当時はゲームやマンガなどを持っていなかったので毎日涼しい部屋で昼寝をしていましたのですが、ふと目をやると、部屋の隅っこに見たこと無いものが置かれていることに気づきました。

最初は「なんだこれ?」くらいにしか思っていませんでしたが、何日も見かけるのでさすがに気になってきました。
そしてちょうど聞こうと思っていたタイミングで後ろから祖父が来たので聞いてみると、流れのまま囲碁を始めることになりました。
あのとき始めてよかったと心からそう思います。
小学生まで
祖父は今で言うと野狐3段くらいだと思います。
最初は祖父から囲碁を教わり、数年後に岩手県代表クラスの方に教えてもらうことになりました。
囲碁を始めて数ヶ月後に盛岡の囲碁センターで級位者認定大会が開催され、私は10級で参加して4連勝で8級に上がりました。
初めての大会で結果を出せたことが自信につながり、囲碁が楽しくなってきたと感じました。
そして小学2年生のときには第1回小・中学校囲碁団体戦が開催され、私も代表選手に選ばれました。
ちなみに第1回に限り、都道府県ごとに中学生3人・小学生2人の5人チームでの大会でした。
当時の写真が日本棋院東京本院地下1階に展示されていますが、ちゃっかり私も写っています笑

大会では1局目に緊張のあまり序盤で石が死んでしまいましたが、なんとか持ち直して逆に相手の大石を取り返して逆転勝ちを決めました。
2局目は最後に1目のヨセを見逃したことで半目負けとなり、チームも2勝3敗で敗れました。
最後の3局目は勝ちましたが、全勝のチームがいたので予選リーグ敗退となりました。
ですが嬉しさと悔しさを同時に味わえたのは今となれば非常に良い経験だったと思います。
小学3年生頃から岩手県の大会を何度も優勝している江村秀弘さんに教えてもらったことで、個人戦で全国大会に行くことができました。
小学5年生からは花巻の碁会所に通うようになり、橋本恒雄さんと西田静人さんに教えていただきました。
橋本さんは全国ベスト8経験者で、西田さんは若い頃プロの道に進むこともできた実力者です。
また西田さんには週2回ほど祖父の家に来てくださって指導していただきました。
江村さんを含めた3人とも棋風がまったく違ったので、異なる価値観を学ぶことができたのは指導する側になった今となっては良かったと思います。
中学生〜高校生まで
小学生で囲碁を楽しく学ぶことができ、中高では部活に入ってやりたいと思いました。
ですので家近くの中学校ではなく、囲碁部がある岩手中・高等学校に中学受験して入学しました。

また第1回小・中学校囲碁団体戦にて同じチームで出場し、少年少女岩手県大会の決勝戦でも対局した木村祐太郎さんも同じ中学校だったことは幸運でした。
木村さんが1つ年上なので、私が中3と高3以外のときは共に団体戦で全国大会に出場しました。
主な戦績
中1のときに出場した中学校の団体戦では、予選リーグ最終戦で昨年4位の麻布中学校と対戦しました。顧問の藤原隆史先生も「当たって砕けて来い」と勝てる相手ではないと考えていました。
ですが先鋒の畠山雄太さんは負けたものの中堅の木村祐太郎さんは勝ち、残った大将の私に勝敗がかかる状況となりました。
しかし私は劣勢に立たされ、半ば諦めで打っていましたが、相手が種石3子を取られるのをうっかりしたことで形勢はわからなくなりました。
その後はお互い時間も無かったので時計の叩き合いになりましたが、数えてみると私の半目勝ちとなっていました。
この勝利により全国ベスト8となり、夜は焼き肉パーティーが開かれました。
また個人戦でも初の予選リーグ抜けを果たし、全国ベスト16になれたことは嬉しかったです。
中2・中3ではジュニア本因坊の東北予選で2連覇することができました。
中2の準決勝では後藤直也くんと初対戦し、当時よく使っていた中国流で勝つことができました。
決勝戦では同じ岩手県で2歳下の及川陽平くんと対局し、途中優勢を意識してから緩んだことで逆転されました。
しかし最後に五目中手で頓死する手を見逃したことで再逆転し、運良く優勝することができました。
中3の決勝戦でも同じ岩手県の5歳下の高橋慶輔くんと対局し、危ない場面もありましたがなんとか勝つことができました。
しかし大会直後に3.11が発生したため、全国大会は中止となったのは残念でした。
また、中3では初めて岩手県大会を優勝することができました。
当時中3での県内一般棋戦優勝は史上最年少でしたが、2年後に高橋慶輔くんが小6で優勝して早くも記録更新されてしまいました笑

高1では高校選抜団体戦で全国3位に入賞できました。
最終戦で大将である私は負けてしまいましたが、中堅の木村祐太郎さんと先鋒の畠山雄太さんが勝ってくれました。
特に先鋒戦は相手が最後のダメ詰めで1目損したことでの半目勝ちだったので、非常に幸運だったと言えます。
ですが個人戦では全国大会に出場できませんでした。
一度対戦して勝っている後藤直也くんに油断して負けてしまったのが大きな原因です。
また4勝1敗で3人ならんだ状況で、全国出場枠2人を決めるくじ引きで私がはずれを引くというアンラッキーも重なりました。
個人戦で全国を逃した悔しさから、1年後に同じ大会での後藤くんへのリベンジを誓いました。
高2では同じく高校選抜の東北大会で後藤直也くんと対戦し、1年越しのリベンジを果たして全勝で全国大会に行くことができました。

高3では高文祭に初めて団体戦の中堅で出場し、5位入賞を果たしました。
大将の及川陽平くんが全勝してくれたことがとても大きかったです。
以上、中高での主な戦績でした。
大学生〜現在まで
じつは大学生のときにはほとんど囲碁をしていませんでした。
唯一出場した大会といえば、木村祐太郎さんに誘われて参加した大学のネット碁の大会だけです。
そもそも、高校3年生あたりから囲碁に対するモチベーションが下がってきていました。
高校選手権の岩手県大会でも個人戦・団体戦ともに及川陽平くんに負けたり、立命館大学への囲碁推薦を蹴ってしまったことからもそう思います。
さらに、目的もなく大学生活を送っていた私は意味のない活動を約6年半もしてしまいました。
今思うととんでもないことをしてしまったと感じます。
完全に私の黒歴史です。
そんな私を立ち直らせてくれたのも囲碁でした。
たまたま知った野狐囲碁は無料で世界中の方と対局でき、しかもどのネット碁よりも早くマッチングできるというメリットがありました。
こんな手軽に対局できるネット碁があるのかと感じたのと同時に、レベルの高さに驚きました。
6段まではすんなり上がることができたのですが、7段に上がった直後に絶望しました。
まったく歯が立たず、一瞬で5段に落とされてしまったのです。
久しぶりにとてつもない悔しさが湧き上がったのと同時に、囲碁に対する情熱も蘇ってきました。
そこから囲碁を勉強し直し、2020年10月に野狐8段になれました。
そしてちょうど同じ時期に囲碁インストラクターという仕事があることを知り、私も囲碁を教えてみたいと思うようになりました。
東京新宿にある碁席秀策で活動していましたが、そこでの経験は非常に有難いものでした。
席亭・お店の方・お客様全員に優しくしてもらい、囲碁インストラクターとして生きていこうと思えるようになりました。
また洪道場にお邪魔した際には子どもたちのレベルの高さを思い知らされました。
まさか小学4年生の女の子に負けるとは想像もつきませんでした笑

東京に来てから初めて参加したアマ名人戦では予選は抜けることができましたが、本戦1回戦で負けて今の実力を知ることができたのも良い経験でした。
そして東京で囲碁を教えていくうちに、岩手囲碁界がどうなっているのか気になり始めました。
調べてみると、私が子供のころからは考えられないくらい衰退していることがわかりました。
この状況を知った私は、岩手に戻って囲碁を教える決断を下すことにしました。

しかし突然岩手に戻って来た私には何の実績もないため、まずは実力を示そうと思いました。
そこで野狐9段になり、岩手県大会をすべて優勝するという目標を立てました。
結果として岩手県に戻って来てから最初の大会を優勝することができ、その際に家にある手筋や詰碁の本を何周もしたおかげで野狐9段になることもできました。
決勝戦では小学生のときに教えてもらった江村さんに恩返しできたことは嬉しかったです。

いまの目標は東北六県大会に大将で出場して岩手県を優勝に導くことです。
今年の大会を観戦してそう思うようになりました。

そのために、あと4つある岩手県大会をすべて優勝しようと考えています。
これは願望ではなく使命だと感じています。
岩手囲碁界を救えるのは私しかいない
そう考え、個人・オンライン指導を開始しました。
大会で結果を出したい方や囲碁を学んでみたい方はいつでもご連絡ください。
ここまでご覧いただきありがとうございました。